社会人博士の研究メモ

働きながら博士課程で研究する者の備忘録

公共政策における「設計」

昨日取り上げた以下の本の話の続き。

 昨日は本書第2章の「問題ーいかに発見され、定義されるのか」を素材に、フレーミング、イシューの重要性について書きましたが、続く第3章では「設計ー解決策を考える」として、問題設定後の解決案の設計のアプローチについての説明がなされています。本章では、中心市街地活性化政策をもとにどのように解決案を設計していくかが説明されており、それについては本書にて確認頂きたいのですが、個人的にやはり目につくのは一つの効果検討のアプローチとして紹介されている「費用便益分析」のところでしょうか。費用便益分析とは、いわゆるプロジェクトが社会に対してもたらす便益と、そのプロジェクトにかかる費用とが算出され、算出された費用と便益の値をもとに意思決定の判断を行うというものですが、このアプローチの本質やその難しさについては、やはりサンスティーンの以下の書籍も読むとその難しさをより深く理解することができます。

シンプルな政府:“規制

シンプルな政府:“規制"をいかにデザインするか

 
命の価値: 規制国家に人間味を

命の価値: 規制国家に人間味を

 

 上記書籍の出版を始め、昨年はまた一段とサンスティーンの議論が注目を集めたような気がするので、今後益々公共政策の分野においても「ナッジ(nudge)」や費用便益分析についての議論が深まりそうです。個人的な感覚としては、日本では法哲学や学際系の分野ではサンスティーンを取り上げた論文を良く読むのですが、公共政策、特に政治・行政学の分野においてもサンスティーンの一連の研究についての研究が増えると良いなと思っているのですが。おそらくこれから増えてくるものと思いますが。

上記のサンスティーンの書籍についてはまた別に取り上げるとして、今日の環境政策やエネルギー政策、少子高齢化政策、プライバシー保護等の多数のアクターが関与する問題を解決するための政策を考えるにあたっては、問題設定の重要性とともに、どのようにその問題のリスクを可視化していくのかということが問われ、そこに費用便益分析をどう活用していけばよいのかという点が一つの論点になっているといえます。

個人的な学問的な関心の一つがその領域でもあるため、この点についてはまたこれから少しずつ本ブログにおいても書いていきたいと思います。

 

ちなみに、上記とはまったく関係ない文脈でしたが、たまたま読んだ以下のネット掲載記事「宮台真司苅部直渡辺靖鼎談 民主主義は不可能な理想か」にも、「シンプルな政府」が取り上げられていたので、合わせてメモしておきます。内容としては費用便益分析のほうではなく「ナッジ」についてですが。

dokushojin.com

渡辺 

 つい最近、キャス・サンスティーンの『シンプルな政府』(NTT出版)という本が出ましたよね。ノーベル経済学賞を獲った、行動経済学で知られるリチャード・セイラーでもそうですが、押しつけではなく、あくまで自発的と思わせながら、人びとを一定の方向に導いていく。そうしたナッジ式のプログラムが、今後様々なところで開発されていくと思います。ただ、ナッジにしても、その根底には設計者の何かしらの意図があるわけですから、既にパターナリズムに陥っていて、純粋な自由選択とは言えない面もありますよね。もちろん、純粋な自由選択などというのは理論的には虚構だとは思いますが。

宮台 

 (中略)
ナッジについてですが、サンスティーンは「二階の卓越主義」と言います。二階の卓越者は従来のエリートと違って答えを示さない。人々が自分たちで解決策を見いだしたという感覚を手放さない範囲で熟議でナッジを発揮するファシリテーター(座回し役)です。大切なのは元々マクロな処方箋とはなり得ないこと。ファシリテーターが機能する熟議は、ジャン・ジャック・ルソーの言う民主政の条件、即ち「政治的決定によって各々の成員が被る帰結が想像できて気に掛かる=ピティエ(憐れみ)が生じる」ような小ユニット内でのみ可能です。つまり「仲間」であり得る範囲です。ルソーが育った当時のジュネーブ規模の二万人が上限か否かは不明ですが、何千万人や何億人の規模は到底「仲間」じゃあり得ません。