社会人博士の研究メモ

働きながら博士課程で研究する者の備忘録

モラルエコノミーとリベラル・トリレンマ

この連休はサミュエル・ボウルズ「モラルエコノミー」を読んでいたのですが、前記事でとりあげたサンスティーンの一連の公共政策に関する議論とも関連する書籍で、色々と考えさせられました。

モラル・エコノミー:インセンティブか善き市民か

モラル・エコノミー:インセンティブか善き市民か

 

というわけで、いくつか気になった部分をメモしておきます。

政策立案者や憲法起草者が直面する問題は、インセンティブと制約が統治のシステムにとって不可欠だということである。しかし、「あるがままの人間」があたかもホモ・エコノミクスのごとく設計される場合、インセンティブが公益の供給において抑制するように設計される利己心を促進するようになるならば、それらは裏目に出るだろう。

(中略)

政策立案者たちは、経済的インセンティブと倫理的・他社考慮的な動機の双方が効果的な政策のために必要だが、前者が後者を衰えさせるかもれないということに、どのように応えるべきだろうか。(p.3-5)

と問題提起した上で、以下の政策パラダイムの必要性を主張します。

わたしがここで提起したいのは、一方でのインセンティブと制約、他方での倫理的かつ他者考慮的な動機づけとの間の相乗作用という政策パラダイムである。(p.7)

著者は、アリストテレスの「立法者は、市民に習慣を教え込むことによって彼らを善良にする」「良い立法が悪い立法と違うのはこの点である」という「アリストテレスの立法者」の立場にたっており、本書中でもこの「アリストテレスの立法者」という用語が何度もでてきます(索引をみると合計15箇所)。 

ニコマコス倫理学(上) (光文社古典新訳文庫)

ニコマコス倫理学(上) (光文社古典新訳文庫)

 

この前提のもとで様々な事例をもとに従来の経済学モデルと最近の行動経済学や実験経済学の成果などが紹介されているのですが、個人的にはそれらを踏まえて論じられている第6章「立法者のジレンマ」は特に読み応えがありました。

アルバート・) ハーシュマンによれば、経済学者は「公的に主張されている法律や規制の主要な目的が反社会的な公道に烙印を押すことだ」という事実を軽視しているという。政治学者のマイケル・テイラーは、法的構造が選好と社会規範を形づくるというハーシュマンの考えを取り上げた。そして、彼はさらに先に進み、トマス・ホッブスによる国家の権威の正当化をひっくり返して、ホッブス的人間は、ホッブス的国家の存在理由となるのではなく、逆にその結果なのかもしれないと示唆した。1980年代においてハーシュマンを、そしてテイラーを読むことによって、わたしは本書に結果する研究プロジェクトの仕事を始めたのである。(p.148-149)

といった研究の動機の説明部分を始め、特にメカニズムデザイン理論によって明らかになった「リベラル・トリレンマ」について説明されている点は興味深く読みました。

第一に、結果としてもたらされる資源配分は、パレート効率的でなければならない。

第二に、政策は経済活動への諸個人の自発的な参加に基づかなければならない。生じる結果は、個人の「参加制約」を満たすものでなければならない。

第三に、人々がもっている選好の種類には、いかなる制約も存在し得ない。

これら3つの条件を、効率的、自発的参加、選好中立性と呼ぶことにしよう。 第一の条件は、集団全体に関する最低限の合理性の条件を課す。第二の条件は、財産の没収や交換への強制的な参加をあらかじめ排除する。第三の条件は、個人の自由と、善に対する個人の考えに関する事柄について国家が中立的だとことを表明している。(p.152-153)

として、メカニズム・デザイン研究によって、これら三条件を同時に満たすことはできないことが明らかになったと論じます。

この点について訳者解説では以下のように説明されています。

「リベラル・トリレンマ」は、立法者が、利己的個人と完備契約の仮定のみに基き、「選好の中立性」と「自発的参加」を追求するならば、それによってパレート効率的な状態を実現することはできないことを意味する。そのため、立法者は、「あるがままの人間」が持っている社会的選好を内生的に形成する可能性と市民の他者考慮的な社会的選好の積極的な役割を認識しつつ、「次善の世界」で立法を行わなければならないのである。このことが、まさに本書の副題である「優れたインセンティブが善き市民に代われない理由」である。(p.242)

まだ現時点では完全に理解しきれていないのですが、このあたりの論点についてはもう少し読み直して自分なりの理解を深めていきたいと思います。とりあえず現時点で目に止まった部分をメモしておきます。

最近様々なところで改めてその重要性が指摘されているアリストテレスもきちんと読み直さないとと思っているのですが、積読本が溜まっていく一方でいつになるのやら・・・。