社会人博士の研究メモ

働きながら博士課程で研究する者の備忘録

J.S.ミル「ミル自伝」

J.S.ミルの自伝である本書は非常に読みやすい文体で訳されていることもあり、とても200年前近く前のものとは思えないです。 

ミル自伝

ミル自伝

 

内容としては、やはり第一章の「子供時代と早期教育」において、どのような教育を受けていたのか書かれている部分が衝撃です。今の時代では考えられないくらいの教育が父親から課されており、ただただ凄いなと。8歳からラテン語ギリシア後を勉強し、12歳までに 詩集や史書、演説、戯曲などを勉強として読まされている。また、数学は幾何と代数の基礎を徹底的に勉強し、さらにはアリストテレスの「修辞学」特に丁寧に読んだとあり、歴史に名を残す人というのは、幼少期から並外れているなと。

弁論術 (岩波文庫)

弁論術 (岩波文庫)

 

これ、小学生で読めるものなんですかね。。。

そしてこのまま学者の道へかと思ったら、ミルは17歳から35年間東インド会社でいわゆるサラリーマンとして働きながら様々な論文を書くという生活を続けており、個人的に社会人博士として働きながら学問を学ぶ身としては、非常に共感を覚えました。

この点について書かれた箇所について、少し長いですが、引用しておきます。

1823年5月。17歳のこのとき、その後35年におよぶことになる私の職業と身分が決められた。父の口添えで東インド会社に就職し、部下としてインド通信審査部に配属されることになったのである。慣例通り最下級の事務員として採用され、昇進も少なくとも始めのうちは年功順だが、事務員であっても最初から通達文書の起草を担当し、幹部候補として訓練を受けることになっていた。(略)

以後審査部に在籍し、1865年には部長になったが、そのわずか2年後にインドが女王直轄となり東インド会社は統治機関ではなくなったため、それを機に退職している。

自分の知的探求に毎日でも時間が取りたいが、自活できるほどの資産はないという人にとって、当座の生計を支えられる職業の中でこれほど適したものはあるまい。高尚な文学や思想で業績を上げられるだけの能力を持っている人には、いつまでも新聞や雑誌への寄稿に頼って生活することは奨められない。まず、生計を立てる手段として不安定である。信条に反することは書かないという良心的な書き手であれば、なおさらだ。

だがもっと重大な理由は、生きるために書く文は長くは生き残れず、全力を投じる対象にもならないことである。未来の思想家を育てるような著作を書き上げるのは膨大な時間を要するうえ、完成してもなかなか注目され評価されるには至らないから、これを生業とするわけにはいかない。(p.71-72)  

 東インド会社で働き政策運営に何が必要か実地に学ぶ機会に恵まれたことは、新しい思想や制度改革を論じる上で大いに役立ったに違いない、とよく言われた。たしかにそのとおりだと思う。(略)

だが、結局のところ一番役に立ったのは、あの仕事を通じて、ただの歯車として働く経験をしたことである。私は、全体が噛み合わなければ動かない機会の一つの歯車にすぎなかった。思索や執筆を仕事にしていたら、誰かの決裁を仰ぐ必要はなかっただろうし、実行に移す苦労を味わうこともなかっだだろう。だが政治文書の通信事務に携わる一介の事務員であれば、自分とは違う様々な人に納得してもらえない限り、命令一つ、判断一つ下すわけにはいかなかった。つまり私は、前例と違うことに慣れていない人にも抵抗なく受け入れてもらうにはどうしたらいいか、実地で学ぶまたとない地位にあったといえる。

こうして私は大勢の人を動かす難しさ、譲歩の必要性を身にしみて知り、名を捨てて実を取る駆け引きも体得した。ほかにも学んだことはすくなくない。全部は望めないときには、肝心要のものを確保すること。すべて自分の主張通りにならなくとも怒ったり落胆したりせず、ささやかな成果でよしとすること。それすら叶わず全面的に却下されたときは、平静に甘受すること、などである。

こうした知恵こそが個人の幸福をつくるのだと私は生涯をかけて学んだ。社会の幸福に全力を挙げて尽くそうと志す人も、理論実践のいずれを通じて行うにせよ、こうした知恵をぜひ身につけるべきだと思う。(p.73-74)

 この部分だけ読むととても様々な思想書を書いているとは思えないですが、個人的には非常に同意できる点が多く、改めて自分も頑張ろうという力を得ることができました。

また、自由論も再読してみたいと思います。 

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)